ポイント*
・新型コロナ感染症の影響で部活動、修学旅行が中止に
・規模や方法は変わっても引退試合、最後の発表の場を考えられないか
・子どもたちの思い出を応援するために
コロナ禍の影響により、全国の多くの小学校6年生、中学校3年生はクラブや部活動の引退試合や最後の発表の場を失いました。
立川の子ども達も同じで、中学校の修学旅行も相次いで中止になっています。
■心に残ったもの
コロナの影響で「甲子園中止」の発表がされ、涙する球児の姿に心を痛めた方も多かったのではないでしょうか。その後、非公式ではありますが、地域ごとに無観客で試合を開催することが決まりました。応援団も吹奏楽団も無し、子どもの最後の勇姿を球場で見られなかった保護者の皆さんは無念だったでしょう。同時に、これでクラスターが発生したら、と考えたら主催者として決断に踏み出す一歩がどれだけ重かったことか。それでも、英知と勇気と情熱を結集して決断をした大人たちがいました。そして試合後のインタビューでは、多くの子ども達が大人たちへの感謝の言葉を述べていました。きっと、子ども達の心に何か残ったのではないでしょうか。
■反対の声もあった。それでも…
コロナで大変な時に試合などして、何かあったら誰が責任を取るんだ!という声があったのも事実。私はいろんな声があることが自然だと思います。
要は、参加の可否を決めるのは本人(家庭)。あとは「どうやったら出来るか」を必死に考えて周りの大人が汗をかくこと、が大切だと思うんです。それが、他を牽引するリーダーなのだと思います。徹底して考えたけどやっぱりできなかった、ということもあるでしょう。でもそれは汗をかいた結果ですから納得できます。
リスクがあるから何もしない、というのが一番楽。絶対に何も起きないんですから。
■できないルールより、できる方法を
8月に入り、学生レベルでの陸上、水泳の大規模大会が行われています。プロスポーツも制限付きで順次開催されています。やり方によって出来ることの証明です。
川崎市では、修学旅行が中止となった小学6年生のために「よみうりランド」を貸し切って思い出作りイベントを開催。八王子市は「市長杯」として、各種運動部や文化部の大会を開催しています。これもまた、考え方ややり方によって出来ることの証明です。
要は、大人の考え方とやり方で選べるということです。
私は本会議で「実施している自治体もあるのだから、せめて民間施設を借り上げる、開催できない場合は代替案を提示するなど『こういう形なら協力できるから、いつでも相談して!』ということを積極的に提示できないか」と問いました。
立川市の答弁は、「集まることさえ危惧される中でギリギリの判断を重ねている」というものでした。
この答えを聞いて分かったことが一つ。
「ギリギリの判断」というのは、判断をしたその人の価値観である。ということ。
ギリギリの判断は団体や学校も同じ。ならば、例えば、学校の体育館より、もっと広い民間のアリーナの方が(ソーシャルディスタンス面でも)安全だし、学校単体では予算的に難しいのですから、市が借り上げるなど、そういった支援はできなかったのだろうか。せめて、その声をかけてあげたのか。そうすることで「出来るための新しいアイデア」が生まれることも考えらえます。